文鮮明師の自叙伝に対する気持ち
先ず、善なのか、それとも悪なのか。その結果を出す前に文鮮明師という人物は、普通の人物ではないと判断はできるのではないだろうか。この方を巡って世間には、偉大な人だという人もいれば、とんでもない人だという人もいるようだ。私の周りには実に多くの人たちが居るが、「善人なのか、悪人なのか」と注目を集める人物は皆無だ。いずれにせよ、長い年数にわたって、噂になるような人物は私の周りにはいなかった。
かつて、麻原彰晃という人物が居て、オウム真理教という宗教団体を立ち上げ、大いに物議をかもし出したが、結論は悪となった。確かに独り善がり的であり、無差別に殺人をするなど宗教団体どころの話ではなく、人間としてあるまじき考えであり、その行動は言語道断である。では、統一教会という宗教団体、文鮮明師という教祖は、言語道断なものなのだろうか。
問題は、どのような人々が「とんでもない」と言っているのか。そして、どのような人が「偉大だ!」と言っているのかだと思う。人の思い(称賛や批判)などは、その方々の利害関係や好き嫌いで批判にもなるし、称賛にもなることを私たちは知っている。正しいのか、間違っているのかは、やがて歴史が証明することになるであろうが、統一教会の歴史は50年を越えたと聞く。本当に悪であるならば50年は続くことなく消えたようにも思うし、上手く生き延びてきたのか・・・?
統一教会には、あまり関心もなかったのであるが、文鮮明師の自叙伝を読んで率直に感じたことは、この方は普通の物差しで計れるような人物ではないという思いであった。故に、私のような一般人がこの方に対して善悪を批評できる立場にはないと感じた。少なくとも私はそうだ。記述されている世界的平和運動というものを検証した結果、それが真実だった場合、その時初めて、文鮮明師が偉大な人物だと記憶することになるだろう。それほど記述されている内容は、人智を超えているものが多かった。