#004 何物にも代え難い価値
S.Iさんの証
私は大学2年生の時始めて統一原理を聞きました。きっかけは教会で聖書の勉強をしてみませんかという誘いに応じたことです。教会というからには牧師のような人が出てくるかと思いきや、頼む人がいなかったのか私に声をかけた女性が黒板を使って総序の講義を始めました。批判してやろうと構えていましたが、「宗教と科学の統一」など扱う問題が大きすぎて、「ごもっともです」という感想になってしまいました。
何回か聞いているうちにセミナーの案内がありましたので、不安ながらも多少勇気を出して出てみることにしました。自然環境に恵まれた場所で、2日間、日をおいて1週間のセミナーを受講しました。教義を押し付けられるのかなという先入観を抱いていましたが、熱心に話して頂いたという程度のものでした。十分理解できたとは言えないまでも、統一原理と文鮮明氏の生涯を学び、「再臨のメシアを迎えて神の国を実現できるラストチャンスが来ている」「神様に祝福されて結婚する祝福結婚の道が存在する」ことを希望に思い、それならば「自分も行けるところまで行ってみよう」と決意し、神様に初めての祈りを捧げました。
その後、大学に戻り統一原理を学びながら実践する生活が始まりました。一応の信念をもって東大駒場キャンパスに立って活動を始めると、同じ大学生でありながら、敵視・無視、あるいは実力を行使して攻撃されることが何度もありました。聖書に書かれている生前のイエス様や弟子達の受けた苦悩の一端を垣間見る思いがしました。
東大でも実にたくさんの学生がともに統一原理を学びました。生活を共にしながら一緒に努力しましたが、周囲の反対に押されてやめてしまった人、確信が持てず去って行った人、確信を基に自分の志した道を見事に切り開いた人、それぞれの人生を歩み始めました。卒業後、社会的な功績を挙げられたわけではありませんが、家庭ができ、子供が成長していく中で、統一原理と祝福結婚のおかげで私自身は計り知れない恩恵を受けることができたことを証言いたします。一言で言うなら心の平和と自由。それが何なのだと言われそうですが、私にとっては何物にも代えがたい価値あるものです。心の中の平和が実現できずして、世の中を平和にできる道理はないはずです。異なる道に進んで行ったかつての友人たちにも、もう一度純粋な気持ちで統一原理と文鮮明氏の自叙伝に向き合う時がきっとやって来ると思います。その人にとって最善の道だったのですから、それぞれの人生を今から一層輝かせて下さることを祈っております。