#002: 感謝なるかな統一原理
H Oさん
私が最初に教会を訪ねたのは大学一年(1971年)の7月でした。統一原理との出会いにより、私の人生は180度大きく変わりました。
中学、高校時代、私はクラスの人間関係で悩むことで「自分は何のために生まれたのか、何のために生きているのか?」と真剣に考え悩むようになりました。それまで、本を読むことが嫌いで読書をするということは殆どありませんでしたが、その時から人の生き方、人生について書いている本を手当たり次第に読むようになりました。
自分の本心が求めているのは親子、兄弟、人間関係に絶対的な愛の関係を築くことであるということは分かるのですが、そのような愛の関係を築くことは不可能であると思うと、生きていることに何の意味があり、価値があるのだろうという思いが沸いてきて、ますます悩みが深くなるばかりでした。天体望遠鏡を買って夜空を見つめると、土星や木星の神秘的な美しさに感動するのですが、余りにもちっぽけな自分のことを思うと、何ともいえない寂しさと空しさがこみ上げてきました。
大学受験も将来のためにこれを学びたいというよりも、大学に入って人生に対する疑問を見つめる時間が欲しいという思いでした。大学に入学してすぐにサークルの説明会があり、「人生と宇宙の根本問題を考える」という原理研究会のポスターが目に入りました。必ず話を聞きに行こうと思いながら時が流れ、7月に統一原理との出会いがあり学ぶようになりました。
統一原理を学ぶ中で、「人間は神様の似姿、子供として創造され、神様の絶対的な愛の対象であるということ、神様は親子、兄弟、家庭、人間関係の中に絶対的な愛の関係を築くように人間を創造された」ということを知りました。そして、それは単なる教えではなく、文鮮明先生がまさしく、そのような生涯を歩んでこられたということを知ることができました。私が生きている時代に絶対的愛を貫かれ、勝利してこられた方がいらっしゃるということに驚きとともに心から感動し、感謝しました。
それ以来、私は何のために生まれ、何のために生きているのかということで悩み苦しむことは一切なくなりました。人間関係で悩むこと苦しむことは今も多くありますが、言いしれない、生きていくことに対する不安、空しさは完全になくなりました。統一原理に出会う前は、夜、布団に入ってもなかなか寝付かれず、頭の中が色んな思いでぐるぐる回っていましたが、今はいつでもどこでもすぐに眠れます。
私は、誰よりも、誰よりも私の幸せを願い、24時間私を見つめておられる親なる神様が共におられることを38年間実感してきました。今も解決しなければならない多くの課題があり、悩みもありますが、これからも神様の愛を信じ、確認し、実感しながら頑張っていきたいと思っています。