私の証



  • 世界平和統一家庭連合に入教して10年、20年、30年、40年と歩めば色々な証があるでしょう。入教当時の話、苦労しながらがんばった証、強烈な神体験、導かれて問題解決・・・その他いろいろ。素直な気持ちを投稿してください。1500字前後でお願いします。
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    #001:統一教会と私

    CHさん

     『少し時間ありますか・・・?』と錦糸町・丸井デパート前の路上で声をかけられたのは、1986年5月18日、それは22歳の誕生日を迎えて2日後のことだった。日曜日の午後で別段これからの予定もなく、アンケートだと投げかけられる質問に淡々と答えた。『神はいると思いますか・・・・』と質問され、「いると思う」と答えた。全てがこの一言から始まった。あれから24年、今、私は微塵の後悔もしていない。

    当初、統一原理を学びながらこれが宗教だとは思えなかった。あまりにも理路整然とした哲学的内容に新鮮な感覚を感じた。学べば学ぶほど内容は凄かった。“歴史の同時性”を学び「神はいると思う」という立場から、「神は明らかに存在する」と、確信へと変わった。それほど衝撃的内容だった。そして、6月半ば、私は当然のように統一運動に献身を決めていた。7月になると4日修練会に参加した。文鮮明先生の生涯路程を聞きながら、これまでに感じたことのない衝撃を受けた。感動は止めどなく流れる涙となり「自分はこれほどまでに涙が出るのか・・・?」と思えるほど涙は溢れ出た。文鮮明先生の生涯路程は、あまりにも壮絶であり、感動的、衝撃的であった。

    私は、統一原理を学び統一教会の信仰を持つことで神様が存在することをハッキリと知った。そして、文鮮明先生は人類の救世主であることをハッキリと知った。それは特別なことではなく、文鮮明先生の人生をほんの僅かでも学んでみれば誰にでも感じることであった。私は人類の救世主たる方が存在される偉大なる時代に生まれたことを知り、心から、心から、心のそこから産んでくれた両親と命を繋いでくれた先祖と自分の人生に感謝した。

    人はよく「弱い者が信仰をする」という。しかし、統一教会の信仰をもって24年間、責任をもって過ごしてみれば「弱くては信仰は続かない」と知った。統一教会の信仰は御利益的信仰観では身が持たない所であった。神に救いを求めようとする教会ではないからだ。むしろ「神を救わなければならない」とする教会であった。それほどに神は悲惨で囹圄の神であった。調子の良い時には神を褒め称え、調子が悪くなると「神も仏もいない!」と吐き捨てる都合の良い人間。私はそのような人間になり損ねたことを感謝している。万民に手を差し伸べたい神。しかし、そのように出来ない事情の中で長い、長い、月日を苦しんできた神の姿を文鮮明先生に教えてもらった。人類史上、いったい誰が可愛そうな神の姿、悲惨な神の姿、どん底に叩きつけられている神の姿を紹介したであろうか・・・?

    全知全能を強調し、至福の神を強調し、栄光の神を強調し・・・と、神と人間を遠ざけた宗教家は数知れない。親が苦しければ子も苦しい道を行かざるを得ないように、親なる神が悲惨な歴史を辿らなければならなかった故に、人類も悲惨な道を歩まなければならなかった。統一原理はその歴史を明確に私に理解させてくれた。今40半ばを越えて、過ぎし日を振り返れば幸福であったと思う。全てに感謝である。月並みだが、統一教会に来た全て兄弟姉妹徒と同じように、産んでくれた親には感謝している。確かにそうである。私は更に強く雄々しく統一教会人として神様と共に歩んで生きたいと思っている。

    | 2010-03-06 |