私は、これこそ宗教の本質であると思います。宗教の目的は、私たちを仏教徒やクリスチャンやユダヤ教徒にすることではありません。宗教の目的は、私たちを人間らしく生きる者とすることです。
文師の国連超宗教議会の構想に付いての本質は、宗教が良きにつけ悪しきにつけ、今日の世界を動かしている重要な要因であるという事実を国連に認識させるということです。文師は国連に対して、宗教を無視してはならないと訴えられているのです。私は、歴史上のいかなる宗教指導者よりも、文師は平和の対義のために多くのことをなされていると思います。
文師はまさに平和の王であられます。文師が世界のいたるところでしていることが、まさに彼が誰であるかを証明しているのです。これは私のすべての五感からそうだと言えるのです。私の目、私の耳、私の心から「そうだ」と言えます。
私はそれに逆らうことはできません。私はこの運動の中に神に反する行動、イエス様に反する行動、ムハンマドに反する行動を見たことはありません。ですから、信仰、宗教に矛盾を感じることはありません。
私たちには文師が必要です。この国に、世界に必要です。平和のメッセージ、愛のメッセージ、家庭のメッセージが必要です。文師のメッセージは神のメッセージなのです。
私自身は、文師とは別の正教会というキリスト教の教派に属しています。しかし、文師のような人々が世界の健全な社会的、経済的発展のためにやっている努力に深い敬意を抱いています。文師が南米で進めようとしている農業開発などのプロジェクトは、近い将来において多くの国にとって非常に助けになるものだと思います。
文師夫妻とその家庭は、きわめて尊敬に値する家族だと感じます。私は文師夫妻の家族の非常に強い愛のきずなに感銘します。さらに二人とも、本当の意味で世界平和のために献身しきっているということです。言葉の上だけではなく、本当の意味で献身しているのです。これは私が大いに尊敬していることです。
私が文師の運動に初めて出会ったのは、1992年8月にソウルで開催された「第1回世界平和のためのサミット会議」にベラルーシの最高会議議長として参加したときでした。そのとき、私はこの会議に参加している指導者のレベルの高さとともに、文師の語られる崇高な理念に深い感銘を受けました。
私は特に、2003年11月にIIPCを設立された文師の知恵に敬意を表したいと思います。国連の信頼性と有効性が疑問視される時代にあって、宗教界、政界、学界、言論界の指導者を世界各国から集めて、世界の紛争を解決するために議論する機構をつくられたことは、全世界が歓迎すべき構想です。
文師は理想について語るだけではなく、それを実行する人です。有言実行の人です。
世界でどれだけの人々が、文師と同じようなことをしているでしょうか。世界は同じレベルの人物をもっと必要としています。世界の裕福な人々が、文師の平和のメッセージ、愛のメッセージを言葉だけではなく行動において引き継がなければなりません。
文師が創設した世界平和宗教連合(IRFWP)は、天のメッセージを展開したものです。諸宗教の目標は万民を一つの家族にし、一つの体のようにすることであります。私は40年間、諸宗教の統一と友好を呼びかけてきました。私は常にこの夢のために生きてきました。そして私は今日まで探し求め続けてきた一人の人物に出会ったのです。その方が文鮮明師です。