文鮮明師は1971年末に渡米し、全米50州で講演会を行い、アメリカが建国精神に帰り、神のみ旨に立たなければならないと訴えました。ところが、宗教的、人種的偏見から脱税の罪で起訴され、裁判にかけられてしまいました。文師は牢獄に入りましたが、これを機会に聖職者が「信教の自由」のために文師を支持するようになりました。
1973年10月から74年4月にかけて全米53ヵ都市で「希望の日」講演会を開催。その皮切りとなったニューヨーク講演(1973年10月1日、カーネギーホール)
ダンベリー連邦刑務所内の文鮮明師
文師の裁判の不当性を訴え、キリスト教牧師たちが文師支援の集会やデモを行った
全米のキリスト教指導者、各界指導者と釈放を喜ぶ文師
1985年8月20日、文師の思想と生き方に強く共鳴した全米2000人余りの牧師たちが、ダンベリー刑務所から釈放されて間もない文師を「神と自由のバンケット」と題した歓迎晩餐会に招待した
アメリカのキリスト教牧師が文師ゆかりの「涙岩」で祈りを捧げた
(韓国・釜山)