文師が16歳(数え)の時、祈りの中で現れたイエス・キリストから、神のみ旨成就のための使命を託される(渡辺繁吉画)
16歳(数え)のときに、イエス・キリストから託された使命を果たすために、文師は深い真理探究の道を歩み始めました。文師が発見した内容の核心は、「神が親であり、人間は神の子供である」ということです。神を中心として、全人類が一つの家庭になること、それが神の創造の理想であり、救いの摂理の目的でもあるのです。文師は、これを実現するために全生涯を捧げる決意をしたのです。
ソウルの学生時代。右端が文師
早稲田大学附属早稲田高等工学校の創設者で早稲田大学第3代総長の
高田早苗像の前で。後列右から3番目が文師
興南肥料工場で肥料のカマスを運ぶ人夫たち
興南の硫安工場の全景
共産政権の宗教抹殺政策により、文師は1948年5月、興南の収容所に送られ、重労働に従事させられました。わずかな食事と安全管理の劣悪な化学肥料工場での重労働は、年に半数が死亡するような過酷なものでした。1950年10月、韓国動乱で国連軍によって解放されました。