ワシントン・タイムズ創刊25周年記念晩餐会
(ナショナル・ビルディング博物館、2007年5月17日)
1982年にワシントン・タイムズが報道を開始したとき、冷戦は最も熱い時期にあり、アメリカの首都にある新聞には、アメリカ国内にいる自由人の灯火としてだけでなく、鉄のカーテンの背後に捕らわれた人々のための声として立つという、明確な役割がありました。
ワシントン・タイムズの編集者と記者たちは、冷戦のかけ引きを理解していました。そして、ソビエト連邦によって突きつけられた脅威を終わらせようとしている二大政党の指導者たちに対して、少しも恥じることなく支持の声を上げました。
初めから、ワシントン・タイムズは、より確立された販路を持つメディアに対して果敢に挑戦しました。そのメディアに対して私たちが感じていたのは、リベラルな偏見に支配されているということでした。1980年代にレーガン大統領と私が、この国を核のホロコーストに導こうとしているイデオローグとして風刺されたことを、私は決して忘れませ。
しかし、その後、おかしなことが起こったのです。超大国の間で一発の銃声も上がることなく、冷戦において自由が勝利したのです。そして新たに民主化されたロシアとともに、私たちは戦略的核軍縮への道を歩み始めたのです。
そしてまた、ワシントン・タイムズはしばしばわが国の首都において、わが国の防衛強化と大統領を支持するたった一つの声となっています。
ですから、私はワシントン・タイムズと、貴紙がわが国の首都における国家的論争において、25年間にわたって果たしてきた重要な役割に対して、敬意を表します。今日、貴紙の声は、かの古いリベラルなライオンに挑戦し、バランスをもたらす上で、かつてないほどに必要とされているのです。
そして、私がワシントン・タイムズの創設者であるレバレンド・ムーンと、この新聞を立ち上げた彼のビジョンに感謝しなければ、私は不注意のそしりを免れないでしょう。彼なくしてワシントン・タイムズはあり得なかったし、ワシントン・タイムズの存在しないワシントンやアメリカは、創造したくもありません。
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