礼拝説教



  • 毎週日曜の午前10時より礼拝堂において一般礼拝が始まります。準備聖歌、お知らせ、ビデオ上映、準備瞑想などの後、執礼者が入場します。説教は常にパワーポイントを使った説教となります。信仰観、摂理観など40分から50分の説教が毎週行なわれています。

    地上生活の目的

    平和を愛する世界人として
    第七章 韓国の未来、世界の未来      
    第八章 人類史の新たなページを開く朝鮮半島

    私たちは、朝が昼に変わる時間を知ることが出来ません。また、夕方がいつ夜に越えて行くかも知ることが出来ません。どの瞬間に過ぎていってしまうのか、天のなさることを人は分かりません。私たちの人生もそうです。成功と失敗の瞬間は、すべて私たちの知らないうちに過ぎて行ってしまいます。国も同じです。一つの国の吉凶がいつ訪れてくるのか知ることが出来ません。このように人間は、天運がどのように動くのかを知ることができないのです。天運とは、世界を動かす力であり、宇宙が回って行く原理です。私たちは知ることができなくても、世の中を創造された方が摂理する天運というものが明らかにあります。・・・・・・・・

    未来を見る目が泣ければ、天運が自分の目の前に来ていても、見ることが出来ません。それで、天運を見ることのできる慧眼が必要なのです。

    (説教骨子)

    12月を迎えました。この一年を振り返りながら、特に考えさせられたことをお話します。今年は5月の後半に札幌地裁での「青春を返せ裁判」の証人として出廷しましたが、その前後に自己責任の信仰というものを強く考えさせられました。同じように統一運動に献身し、同じような責任分担を歩みましたが、数十年経てば、片や統一教会の牧会者、片や「青春を返せ!」と統一教会を訴え批判する立場。私は牧会者としての自分の立場を心からありがたいと思っています。しかし、何故、あのようになってしまうのか。そこには、自分で選んだ道という自覚の足りなさと、自己責任を取れない未熟さがあったと思います。

    集った皆様は、自分の責任で統一教会の信仰をされていますね。誰に押されるまでもなく今日も自分の意志で礼拝に参加されましたね。自分の意志と責任で伝道し、自分の意志と責任で献金し、今日まで自分の意志と責任で祝福家庭として立派に責任を果たしていることを自覚しましょう。従って、今後も様々に願われる内容に関しては、自己責任で受け止め、自己責任で行動し、決して責任転嫁や自己正当化することのない様にしましょう。祝福や入籍などはそのように自己の責任で受けるものであり、もはや我々は成熟した考えを持つ立場ではないでしょうか。ご理解できますね。

    今回13日間の断食を行ないましたが、その間に考えさせられたのは「心情の基台」でありました。原理講論・後編、ノア家庭、アブラハム家庭の冒頭には、アベルやノアが「天に対して忠誠を尽くした心情の基台ゆえに・・・」という部分が見られます。心情の基台ゆえに摂理が延長され、神の復帰摂理が継続されたことが記されています。別に彼らは、心情の基台を残すために生きたわけではありません。とにかく必死になって神様の願いを果たそうとしたのだと思います。今、私たちに必要なのは、とにかく神様が願われたことに対して必死であることだと思います。

    できるか、できないかを結果を主管するべきではありません。例えば、TDを「やらない!」と決心するのも自己責任、「やる!」と決心するのも自己責任。「やらない!」と決心するなら自己責任で祝福などは受けるべきではないと感じます。そんな決心をした者が恥ずかしすぎて、どうして天の祝福を受けることができるでしょうか。「やる!」と決心しても簡単ではないのに・・・。私たち祝福家庭は、結果を気にすることなく天の願いに真剣に、本気で、切実に、必死で、夢中になって取り組むべきだと思います。曖昧が一番良くないのです。

    さて、今日は「地上生活の目的」というテーマですが、今更お話しする内容でもないと思います。先週、地区長が行軍してこられましたが、その際「私たちの信仰の目的は霊人体の成長と完成」というお話されました。み言葉を受けながら、摂理とはテストのようなものであり、その都度、その都度、一生懸命に勉強するようなものだと思いました。勉強しても良い点数を取れない事もあります。しかし、真面目にテストの備え勉強を繰り返し、知らず知らずのうちに実力がつくように、我々の霊人体も摂理に真剣に、真面目に取り組むことによっていつの間にか磨かれ、天一国に相応しい生霊体になって行くのだと感じました。今日は、自分自身の霊人体の成長と完成について、もう一度考える時間にしたいと思います。・・・