礼拝説教



  • 毎週日曜の午前10時より礼拝堂において一般礼拝が始まります。準備聖歌、お知らせ、ビデオ上映、準備瞑想などの後、執礼者が入場します。説教は常にパワーポイントを使った説教となります。信仰観、摂理観など40分から50分の説教が毎週行なわれています。

    真の母の相対国家としての責任と使命

    天聖経
    真の父母 第6章「真の父母」と我々      
    4)恩寵と自覚 ④「真の父母」の価値

    神様の摂理の目的とは何かというと、一つの焦点(真の家庭)です。神様の理想が実現される場も、まさにその場です。我々が失ってしまった父母、失ってしまった真の父母様に出会うことが出来る所も、まさにそこです。それで、その基台がすべての中心です。その中心的立場、それが真の父母というものです。 歴史上に多くの立場がありましたが、この立場が最も価値ある立場です。

    皆さんは、この本当の価値を知ることが出来ませんでした。これは数千個の国土を与えられても替えられません。国土ほどのダイヤモンドを与えられても替えることができません。アメリカ全体を神様に祭物として捧げたとしても、皆さんはそれを得ることが出来ません。皆さんの目で直接その立場を見る事ができるなら、どれほど幸福でしょうか。また、見る事ができなければどれほど不幸なことになるでしょうか。もう一度、じっくりと考えて見なければなりません。

    《説教骨子》

    原理講論・総序の冒頭に「人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求めて、それを得ようともがいている。・・・」とあります。これは全くの真理です。今日も皆様は、幸福になりたいとして、ここに来て座っているのですけど、冒頭から幸福を追い求めてボーっとしたり、寝たりもしているのですね。そのようにして、本当に幸福をつかめるのならここに座っている必要もありませんね。「個人の些細な出来事から、歴史を左右する重大な出来事に至るまで、すべては結局、等しく幸福を得ようとする生の表現にほかならない」とあります。しかし、私たちは、それほど真剣に幸せを追い求め、深刻になって一瞬、一瞬を生きてはいませんね。だからボーっとしたりするのですね。これは習慣性ですね。今こそ、我々は何が幸福を得る道なのかを真剣に、深刻に考えるべきなのだと思います。

    さて、8月24日から始まった圓母平愛摂理ですが、今も終えることができずに引きずったままです。この間、私たちは真剣に深刻に圓母平愛摂理に向き合ってきたかを考えて見ましょう。ボーっとしたり、寝ていたりしてはいなかったでしょうか。習慣性にまかせて「いつものことよね!」と重要な摂理であるのにもかかわらず客観的になっていなかったでしょうか。摂理に対して真摯に向き合い、責任を果たそうと精誠を捧げることが祝福家庭の道理であり、未来永劫に幸福を得る道だと思えなかったのなら、私たちは、今のまま2013年1月13日を迎えることが出来ません。悔い改めなければなりません。

    圓母平愛とは、真のお母様と母国日本が一体となって、真の愛で世界平和を導くことを意味します。日本が重要な立場であることは改めてお話しすることではありませんが、真のお母様と一体となるということは、お母様の心情でお父様をお支えすることであり、お母様の心情の重荷を共有することでもあります。2008年以降、どれほど真の御父母様が窮地に立たされ、これまでにない苦痛を味わっているかを私たちは知っていますね。特に2009年からのUCI問題、御子女様のアベル・カイン問題は、あまりにも深刻です。2013年1月13日とD-dayがはっきり定められているのに、よりによって目前での大きな穴が開いてしまったのです。

    渡米後40年、UCIは摂理上大きな役割を果たしてきましたが、この失ったUCIに代わる財団をこの時期に立ち上げなければならない状況はあまりにも深刻すぎるのです。このような時であるからこそ、母国としての責任と使命の大きさを感じて、御父母様の願いに応えるべきなのだと思います。まず、外的にできる、できないが問題ではなく、私たちが真剣なのか、本気で真の御父母様の願いに応えようとしてきたのかを見つめるべきなのだと思います。少し前までは、私もUCI問題を話すたびに基準が下がりました。日本の食口たちがどんな思いで、苦労しながらTDを捧げて頑張ってきたのかを思うと、腹立たしくてしょうがありませんでした。しかし、批判と批難は、いつの間にか自らの堕落性を目覚めさせ責任転嫁し、自己正当化する材料にしかならないことを感じました。

    今は、「ああでもない。こうでもない。」と言っても私にとっては幸福を得るものにはなりません。ただひたすら信じた真の御父母様の事情と心情に相対し、願いに応えようと心を燃やすこと、取り組むことが重要だと思います。今ほど深刻な局面はありませんでした。だからこそ我々は真剣に圓母平愛摂理に向き合うべきです。ここに真剣になれないものが、どうして入籍祝福だといってのこのこと恩恵を受けに来れるのでしょう。我々はそんな恥ずかしい者ではありませんね。祝福家庭として、統一食口として、真の父母様に連結された者として最善を尽くしてまいりましょう。一週間、摂理を担当する母国の食口として、苦しみもがき、悩む抜く一週間としてまいりましょう。それが近い将来に幸福を得るための良き方法だと思います。神様と世界のためですが「苦しみましょう。悩みましょう。」などと、いったいどこの教会でこんな礼拝説教がありましょう。皆様は理解できますね。統一教会ならではですね・・・。