悔い改めよ、入籍の時は近づいた!
天聖経
祝福家庭 第4章 祝福家庭と入籍
4)入籍時代と私たちの責任
今日の人類は、サタンの血統を受けています。ですから悔い改めなければなりません。天地の大主人の前に顔を上げることのできないほど、恥ずべき内容があるのです。自分自身がどれほど汚れた姿で悪臭を放ち、統一教会を汚し、サタンの舞台をつくってきたかを考えて見て下さい。それを考えれば、神様の前で、先生の前で体を伸ばして座っていることはできないのです。
皆さんには何の資格がありますか。祝福を受ける資格があるでしょうか。祝福を受けようとここに座っているのですが、皆さんが統一教会に入ってから何年かの間にしたことは何でしょうか。祝福というのは、そのようにただ来て座っていれば受けられるというものではありません。千年の功を尽くし、万年の功を尽くしから、その子孫が来て厳粛に千万回の謝礼を捧げながら、そして天上世界と地上世界の万民が仰ぎ見て、その日の栄光を称賛する中で、祝福を受けるべきなのです。果たして皆さんはそれができるでしょうか。
(説教骨子)
毎週、日曜日の夜11時からNHKで「イ・サン」という韓国時代劇が放映されています。だいたい毎週見るようにしていますが、最近は心が急いて「早くみたい!」と思うようになり、火曜日の夜にDVD5枚を借りてきました。次の日に10枚借りてきて、金曜日に10枚借りてきて、あっというまに30話から77話まで47話を見終わりました。韓国の時代劇には本当に嵌ってしまいます。思えばチュモンの時もそのような見方をしたのを思い出します。
ドラマの内容は、イ・サンが王様に即位するまでの迫害と苦悩、即位後も苦労しながら朝鮮を治めていく話です。側近たちの裏切りや権力に溺れる姿などがあり、最近の我が教会の現実に重なるものがあり、興味深く、あっという間に見ることができました。またドラマを見ながら、別の角度でひどく考えさせられたことがありました。それが身分というものでした。時代劇には付きもののように身分の違いによる悲話があります。ここでも身分の低い女性ソンヨンが王であるイ・サンの側室まで上り詰めるという話がありました。
現在の日本には、公然と身分の違いで差別や区別されるなどの話はありません。私は、300年前、500年前、1000年前、私の御先祖様たちはどのような身分であったのだろうと、ふと考えてみました。韓国では本貫というものがあって、どこどこの出であるとかが解かるそうですが、日本にはそのようなハッキリとしたものがありません。しかし、ほとんどが韓半島から流れてきた先祖たちの子孫なのだと思います。流れてきたと言うよりは“流された”と言うのが正しいのかもしれません。とすれば、ここにいるほとんどの人の先祖は罪人ではないかということになります。
いずれにせよ、私たちは天宙の王である真の御父母様の前では、皆卑しい者たちであります。とてもとても真の御父母様の目に止まるような者ではありません。そのような卑しい者であることを自覚すれば、いただいた祝福がどれほど感謝であるかが身に沁みるのだと思います。ところが私たちには、自分が卑しい者であるとか、罪人であるとかなどの自覚はなく、ただ祝福家庭とか、選民統一食口とか、御父母様から当然のように恩恵をいただけると錯覚することはないでしょうか。改めて今日のみ言を見ていただければ、私たちの立場が明確になるでしょう。
宮殿には決して相応しくない卑しい者が、何の間違いか皇族として王様の下に挙げていただこうとしています。どれほど感謝しているでしょう。入籍祝福とはそのように重大なことです。かつて私たちは祝福を受けました。しかしみ言によれば、それ(祝福)だけでは前後、左右、上下からサタンの攻撃を免れることはありません。入籍して初めてサタンの主管圏から切り放たれ、御父母様の保護圏に包まれるのです。入籍祝福は、私たちと私たちの血統にとって重要な意味を持つことになります。ゆえにその価値、意義をもっと自覚し輝かせるために自分自身の身分(位置)を明確に知るべきだと感じています。
悲観するためでもなく、卑屈になるためでもなく、救われがたい者が栄光の玉座に座することがどれほど感謝であり、どれほど光栄であるかを知るためにそうするべきです。自分自身をよくよく見つめれば、自分が何者であるかが解かるはずです。入籍の時が近づいているようです。悔い改め、感謝してその日を迎えるべきです。そして、その時を少しでも負債無く迎えられるように内外の責任を果たすことに必死でありましょう。

