1941年4月1日、文先生は初めて日本に入国されました。表向きは早稲田大学付属高等工学校で学ばれるためでありました。しかし、内的には真理の完全解明のための留学でもありました。原理の重要な部分は、この留学中に解き明かされています。大韓民国独立のために地下活動の責任者でもあった文先生は、常に公安警察からマークされ、たびたび拷問にあったことも私たちは知っています。その時、流された血の一滴、一滴が日本の統一教会復興の原点であり、私たち一人ひとりは、文先生の血の代価としてこの教会に導かれてきたという教育はそのとおりだと思います。
60年代、70年代には幾度となく日本にご入国された文先生ですが、1970年代後半からは公式的入国はなされていません。冤罪性の強い13ヶ月のダンベリー収監と多くの訴訟問題が日本への入国を阻んでいると言われていますが、それは建前で、外務省のトラウマが文先生の入国を難しくしていると聞いたことがあります。祝福活動を一切しないとして入国許可を出したはずなのに、1800組のマッチングを行ったことが発覚し、入国許可を出した外務省のメンバーが責任を取らされ左遷されたとか・・・。どこまでも保身的な官僚にとって身の上に降りかかる火の粉は振り払わなければなりません。本当ならば残念なことです。
しかし、私たちは責任転嫁も自己正当化も出来る立場ではありません。私たち自身が心から真の御父母様のご入国を強く、強く願い続けてきたかと本心に問うて見なければなりません。御父母様揃ってのご入国は、私たち統一食口の天運と母国の天運守護に大きく関わる内容だと思います。私たちの心の復興や生活の復興のみならず、日本の安定はご入国にかかっていると信じます。1992年3月26日に入国され、31日出国以来、約20年間、日本に降り立つことはありませんでした。今回の大震災をとおして何より悔い改めなければならないのがこのことだったと今更ながら気付かされます。
大震災によって疲弊した母国の再興を懸けて、2013年1月13日までの天一国創建母国使命完遂をかけて、私たちは天運を引き寄せるべく真の御父母様の20年ぶりのご入国を現実にするべき時を迎えたように感じます。人々の手によって街は再興されていくでしょう。私たちは祝福家庭、統一食口にしかできない本質的な天運守護の観点でこの国を再興へと導くべきだと思います。真の御父母様に委ね、真の御父母様を頼ることしか出来ない幼い者であることを自覚し、しかしながら、お迎えできる基台を私たちの精誠でしっかりと造成してまいりましょう。

