独り言&ひとり言
  • カテゴリーなし



  • 管理人の一人が徒然なるままに書下ろす自由な言葉。中には多くの人々の思いを代弁するかのような内容も・・・。時には毒舌も・・・。勘違いなのか、それとも的外れなのか、独りよがりなのか・・・。それを決定するのはあなたです。
     ご意見、ご感想は、記事のタイトルをクリックすると入力できます。お気軽にお寄せください。

    2000年前、イエス様は人類を恒久的平和と幸福へと導くための秘密を解き明かしました。イエス様はイスラエルを収拾した後、“すべての道はローマへ通ず”と謳われた世界の都ローマへと進出し、イエス様の人類救済の教えはローマ哲学、ゾロアスター教、仏教、儒教へと融合され、全人類の救済へと結実されるはずであったのです。その教えの根幹が「神と人間は親子!」でありました。父母なる神を見失い、当てもなく幸福を求めさまよい歩く人類に対してイエス様は、正しく神と人間の関係を解き明かす責任と使命があったのです。

    しかし、イエス様は私生児であり、学歴もなく、職業的にも軽蔑され、生まれは「ナザレに何の良き者が生まれよう…」と蔑まれた場所の出身でありました。そんなイエス様の幼少時代の悲惨さは言葉に表すことはできなかったでしょう。聖書には出世時の秘密は記されていても、幼少時の愛らしい姿がどこにも記されていません。愛らしいとは程遠い悲惨な姿のイエス様であったが故に、神様は親として記録することができなかったのです。そんなイエス様が「自分は救世主である」と目覚めた瞬間があったはずです。そして、悠久なる歴史の真実、不幸の根本原因を悟り、過去と未来のすべてに責任を背負われようと決心された瞬間があったはずなのです。

    生まれながらに救世主・メシヤとしてのイエス様ですが、12歳までには自分の責任と使命を知ったといえます。ルカ福音書第2章41節前後を拝読してみれば、確かにイエス様は12歳までに「神様が私の父である」と認識しています。神と人間が親子・・・、当時の人々には到底理解できないことでありました。イエス様の素性が解らない時には、その子供の受け答えに感嘆しましたが、しかし、私生児だ、学歴が無い、大工のせがれ、ナザレ出身…、知ったその後からは誰がまともにイエス様の話を聞いたでありましょう…?

    イエス様の基台、助けとなるべき土台はユダヤ教でありました。救世主としてのイエス様はユダヤ教の祭司、律法学者、パリサイ人などの上層階級らによって受け入れられなければなりませんでした。アブラハム以降2000年間、様々な訓練と試練、迫害を越えて選民思想、メシヤ思想で結束していたイスラエル民族(ユダヤ人)でありました。そしてモーセ以降の1000年以上に及ぶユダヤ教の歴史は、メシヤであるイエス様に連結されるべきものでした。ユダヤ教を土台としながらローマへ、ヨーロッパ各地へ、中東へ、極東アジアまで愛の教えは拡がらなければならなかったのです。

    しかし、肝心要のユダヤ教とイスラエル民族がイエス様を受け入れることができませんでした。拒絶したばかりではなく十字架へと追いやってしまいました。ユダヤ人の歴史が悲惨を極めるのはここに原因があります。イエスは40日間の霊的復活の最後に「私はまた来る」と言い残します。雲に乗ってくるのでしょうか…? 洒落にもなりません。イエス様はマリアから誕生したのです。再臨されるイエス様も女性の腹から誕生するのです。しかしその時、2000年前のように過ちは繰り返されるのかもしれません。

    イエス様は異端と呼ばれました。イエス様は悪霊の頭と言われました。イエス様は社会悪と言われました。イエス様は社会混乱を招いたとして十字架で死刑になりました。神様によって準備されたユダヤ教指導者や有力者がそのようにしたのです。再臨の時には、キリスト教こそが最も神のみ意に反してしまう可能性があることを恐れるべきです。2000年の伝統はキリスト教のためにあらず、再臨のキリストのためにあることを忠告しておきます。文鮮明先生の91年の生涯を真摯に研究すれば何が真実か見えて来るでしょう。

    | 2011-03-07 | 独り言&ひとり言

    コメントする