独り言&ひとり言
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  • 管理人の一人が徒然なるままに書下ろす自由な言葉。中には多くの人々の思いを代弁するかのような内容も・・・。時には毒舌も・・・。勘違いなのか、それとも的外れなのか、独りよがりなのか・・・。それを決定するのはあなたです。
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    罪を犯していないのに不当なる刑に服しなければならない冤罪が時にクローズアップされる。今現在も冤罪被害者として苦しむ人々がいる。冤罪という大きな事例だけではなく、社会には誤解と偏見が渦巻いている。伝えたくても伝わらない真実の声。一方、偽りと欺瞞を繰り返しながらも堂々と生きる人々もいる。解決されない凶悪事件が多くある。人は何ゆえ罪を犯し、偽りを行い、平気で人を傷つける歴史を繰り返すのか・・・? その答えは難しくなかった。“誰にも知られない。ばれない。”という心理があるからだ。

    幼い頃、母はよく言っていた。「神様が見ているよ・・・」。脅しのようなその言葉が、時に良心の呵責を蘇らせ、心と行動を正さなければならなかった事が少なくなかった。悪はいつの日にか白日の下に曝される。その心を失ってはいけない。しかし、現実の社会では、悪を行っても時効を迎える事件もあり、悪を行っても裁かれない事例もある。果たして彼らは得をしたのだろうか。

    高度な信仰を持つ者たちは、ハッキリと知っている。霊界という次の世界があることを・・・。生命に終わりは無い。心(魂)の世界は永遠である。地上での生活は、霊界(永遠の世界)に直結し、地上で誤魔化すことが出来た総ては、霊界で白日の下に曝される。偽りを隠し通すことは出来ない。人間は、いつからか永遠の生命(霊界)を見失ってしまった。それゆえ、刹那的で短絡的な人生、いい加減な地上生活(肉体生活)となって現われるようになったように思う。

    永遠であればこそ偽りの無い人間関係を創らなければならない。明日別れるような人間関係では、大切にしようという心が湧き出ずるだろうか。好きであろうが、嫌いであろうが、出会った関係は、またどこかで出会うのだとすれば、いい加減に接すことは出来ない。罪を犯すことが出来ない。傷つけることは出来ない。心に抱いた真実や偽りの総ては、この地上で明らかにされなかったとしても、霊界では必ず明らかにされるのだ。誤解を受けていてもその誤解は解かれる。偏見も解かれる。逆に偽りは暴かれ、罪は罪として償わなければならない時が来る。それが人間、永遠の生命。正しく生きる努力、正しく悔い改める姿勢、一人ひとりが、私の生命が永遠であることを理解できれば、この世界は天国への一歩を記すのかもしれない。霊界という永遠の世界があることを歓べる者か否か、自分自身をチェックすべきだ。

    | 2011-01-10 | 独り言&ひとり言

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