最愛の人を失った悲しみをどのようにして慰めることが出来るのだろう…。毎日のように流れてくる悲惨なテレビニュースに慣れてしまった私たち。今日もどこかで誰かが最愛の人を失い、やり場のない悲しみに打ちひしがれ、どこまで続くのかわからない苦しさを抱える。今日は、私の順番ではなかったのだ。しかし、いつの日にか私も最愛の人との別れを迎えなければならない。その時、私はどのように克服するのだろう。
繰り返されてきた最愛の人との別れ。ある者は悲しみを抱えたまま…、ある者は忘れようと努め…、またある者は苦しみを友としながら…、またある者は怒りと恨みを抱きながら…。その苦しみや、悲しみや、寂しさや、怒りや、恨みをどのように解放してあげることができるのだろう。行きつく答えは、たった一つであった。「また、会える」。
人はいつしかその真実を見失ってしまった。永世という真実を見失ってしまった。私の生命が永遠であるという真実を見失ってしまった。永遠の別れなどないのだ。出会った者たちは、必ずまた出会うのだ。生命は永遠なのだ。慰める意味ではなく、ただの方便でもなく、苦し紛れで言っているのではない。私たち人間の生命がどのようなものであるかを正しく知るべきだ。
最愛の我が子、最愛の夫、最愛の妻、最愛の父母、最愛の友…、私たちは、また必ず出会えるのだ。生命が永遠だからこそ、私たちは真実で生きるべきなのだ。最愛の心を失わず生きるべきなのだ。逃げない人生、恨まない人生、卑屈にならない人生、正しい人生を生きるべきなのだ。
永遠の世界、永遠の生命、永遠の人生…。その真実を私は知った。だからこそ私は死(別れ)を恐れない。それ以上に真実で生きているのかどうなのかを私は恐れる。統一教会は、それを私に教えてくれた。感謝に絶えない。

