世界を2分した思想の一つが消え去ろうとしていた。共産主義は終焉の時を迎えていた。しかし、そこに至るには、もう一つ山を越えなければならなかった。その事実を知るのは神と文鮮明師しかいなかった。ゆえに、師はモスクワへと向かった。世界平和の礎の為に。1990年4月8日のことであった。
心あるソ連指導者たちの中に70年にも及ぶ共産主義という実験が人々に何をもたらしたのかを冷静に判断する者たちがいた。その実験(共産主義)は誤りであったと結論付けたとしても、資本主義では国の未来を拓くことは出来ないということも事実であった。70年以上にわたり信じ続けた共産主義が過ちであったと気づいたとしても方向転換を簡単に出来るであろうか。ゴルバチョフ大統領とそのブレーンが選択したのは、事もあろうか40年も前から勝共思想を掲げ、共産主義の過ちを指摘し、ことごとく世界の共産化を妨害し、共産主義の過ちを訴え続けた文鮮明師を受け入れることであった。それは、彼らが文鮮明師を研究し尽くした結果であった。
共産主義の限界線が見えた時、それに対抗し続けた人物とその思想に着目した謙虚さこそがゴルバチョフ大統領の偉大さであろう。「今後、ソ連をいかなるイデオロギーで主導していくべきなのか」。ゴルバチョフ大統領は悩んでいた。よくよく研究してみれば、憎くき文鮮明の勝共思想が共産主義を滅ぼす為の思想ではあったとしても、共産主義の不幸から国民を救い出す思想であることを彼は正しく理解できたのであった。ゴルバチョフ大統領は、国民の為に真剣であったが故に、ペレストロイカを成功させなければならない故に、文鮮明師を受け入れざるを得なかったのである。
しかし、ゴルバチョフ大統領の改革が簡単でないことをゴルバチョフ大統領以上に知っていたのが文鮮明師であった。改革は、既得権益を守ろうとする特権階級にとっては厄介なことでしかなかった。やがて彼らは、改革阻止の為にクーデターを起すことになる。1991年8月18日のクーデターである。このクーデターは、失敗する可能性は有り得ない完璧なものであった。ところが5日後には不思議にも鎮圧されてしまう。もし、この時のクーデターでゴルバチョフ大統領が暗殺されるような事態が起っていれば、ソ連国内の情勢は混乱し、連邦間で内乱が起こり、ひいては米ソを中心とする第3次世界大戦に至る可能性があったことを誰が知っていたであろう。
1990年4月8日、電撃的な文鮮明師のモスクワ訪問は、今後ゴルバチョフ大統領が行う改革に際し、国内で起こるであろう様々な困難を回避するために先駆けて手を打っておかなければならなかった故の訪問であった。そのことを知るのは神と文鮮明師だけだ。ソ連が共産主義を放棄することは、世界平和への大きな一歩であった。この序幕を間違えることはできない。70年にわたる共産主義幕引きの大役は、ゴルバチョフ大統領しかいなかった。文鮮明師は、ゴルバチョフ大統領を守らなければならなかったのだ。1990年4月11日、クレムリンの単独会見によりゴルバチョフ大統領の生命は、神が保障するものとなった。そして改革の成功は決定的なものとなった。1991年12月25日、何事もなかったかのように静かに共産主義は終焉の時を迎えた。

