1990年4月8日、文鮮明師は、共産主義の牙城モスクワの地に立っていた。奇跡が起こったのだ。しかし、それは奇跡ではなく当然訪れるべくして訪れたのだ。第十一回世界言論人会議、第三回世界平和のためのサミット評議会、第九回ラテン・アメリカ統一連合国際会議、これら(総称:モスクワ大会)を文鮮明師はモスクワで開催するに至ったのである。かつて三大暗殺対象者(レーガン大統領・ローマ法王・文鮮明師)として、その命を狙っていた本丸中の本丸クレムリンへと乗り込むことになるのだった。
ソ連共産党が文鮮明師を国賓級で招待したことは、既に共産主義の終焉を意味していた。世界各地で展開した赤化(共産化)運動、その集大成ともいえる中南米での戦いと自由主義の中心、合衆国の共産化は海の藻屑と消えた。その共産赤化計画を全て阻んだ張本人、文鮮明師をソ連共産党は国賓級で迎えたのだ。
1990年4月10日、世界75カ国から集った頂上級の指導者500名とソ連の最高幹部500名を前に文鮮明師は歴史的なスピーチをモスクワ・ソビンセンターで行うこととなる。遡ること1985年8月、ジュネーブで開かれたPWPA(世界平和教授アカデミー)総会でシカゴ大学の名誉教授・モートン・カプラン博士が半信半疑の中で文師の意思を代弁した「5年以内に共産主義は終焉する!」という講演文がいよいよ現実のものになろうとしていた。
1990年4月11日、その時は遂に訪れた。文鮮明師は、令夫人と共に準備されたリムジンでクレムリンへと向う。世界の要人たちと共にゴルバチョフ大統領を迎え、あっという間に1時間半の会談は終了した。しかし、第二幕が始まるのであった。文鮮明師御夫妻だけとの単独会談であった。この会談以降、文鮮明師とゴルバチョフ大統領は急激に心情的関係を深めることとなる。それは従兄弟のような関係とも評されるものであった。
かつて冷戦の極地にあった時、ソ連共産党にとって文鮮明師の存在は邪魔者以外の何者でもなく、抹殺すべき存在でしかなかった。その文鮮明師がソ連帝国の牙城、その中枢クレムリン大統領執務室にいること事態が奇跡としか言いようがない。どんなに硬く、ぶ厚い氷土であったとしても、陽ざしが注がれればいつかは溶け出すように、文鮮明師は共産主義に太陽のごとくの光、真の愛を充て続けて来たのだ。ゴルバチョフ大統領との会談にまさにそれを実感する。やがて、1991年12月25日、度重なる試練を越えてソ連・ゴルバチョフ大統領は、ソビエト社会主義連邦共和国に終止符を打つのである。頭翼思想の勝利であった。

