総論として、人類歴史は神とサタン(悪魔)との狭間で呻吟し続けた歴史であった。それは、私という人間一個人で見るならば、良心と邪心の葛藤の歴史と言えよう。良心には常に神が働きかけて来るし、邪心には悪魔が働きかける。神は良心的善人を捜し求め、彼をして平和と幸福の基台を拡大しようと試みる。いつしかそれは宗教となる。逆に悪魔は邪心的自己中心者を探し立てては、人が神へと繋がる道を遮り、神の計画を破壊しようとする。
御参考までに・・・統一原理の優位性は、邪心の発生原因を明らかにしている事であり、サタン(悪魔)の正体をも明確にしていることにあると思う。病気の原因を特定できなければ治療方法も見出すことは不可能なのだ。
人類歴史の躓き(闘争、分裂、不信、不和、エゴ・・・などの発生原因)は、人類最初の男であるアダムと人類最初の女であるエバの過ちに端を発する。故にこの過ちを取り戻すことが重要であることをこれまでに何度も語ってきた。もう既にこの世にいない過去の先人たちの過ちは、時代の最先端を生きる者たちが負わなければならない責任として残る。故に時代と共に人物は代わっても、取り戻すべき責任は変わらないのである。あたかも祖父の負債をその子供が負い、さらには孫が・・・という考え方そのものだ。天には神も従わざるを得ない法律があるのだ。
アダムの過ちを回復するために、アダムの次子アベルと長子カインは善悪に分立されなければならなかった。そして、長子カインは悪の立場のままではなく善に変わるべきであった。アダムからは善悪ではなく、善と善しか生まれなかったと証明する立場にあったのが長子カインの責任でもあった。その悪の立場から善の立場へと如何にして変わるのかを統一原理は鋭く説く。
結局、アベル、カインの摂理(神の計画)が失敗することにより、神は次の良心的善人(摂理的中心人物)を捜し求めて長い時間を費やすことになる。ようやく見つけた人物が偉人ノアであった・・・・・。このように時代とともに人物は変わろうとも、使命分野は継承される。故に歴史は繰り返されるように進むのである。
To be continued.

